写真@:2024年12月14日開催された津屋崎義士祭の法要
=福津市津屋崎3丁目19の新泉岳寺で午前11時撮影
福津市の新泉岳寺で12月14日、津屋崎義士祭開催
法要で参列者が焼香後、義士を偲び蕎麦300食の振る舞いも
2025年12月14日、赤穂浪士の討ち入り日に合わせて福津市津屋崎3丁目19の「萬松山新泉岳寺」で津屋崎義士祭=写真@=が行われます。津屋崎千軒いきいき夢の会ら10団体で組織の「津屋崎義士祭実行委員会」の主催で、福津市のまちづくりボランテイア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」も同委員会に参加しています。
新泉岳寺は、地元実業家の児玉恒次郎氏が、桃中軒雲右衛門の赤穂義士を扱った浪曲に感動し、大正2年(1913年)に墓地の一角の約280坪に墓石を建てた赤穂浪士(四十七士)の墓地。東京都港区高輪の「泉岳寺」=写真A=から許可を得て、寺号と義士47人の墓砂を分霊としてもらい受けてカメの中に砂を入れ、「萬松山新泉岳寺」として祀りました。児玉氏は明治40年(1907年)、渡半島に伊藤伝右衛門らと「活洲場(いけすば)」を開設するなど町の観光開発にも貢献しました。寺の本堂は、戦前になくなっています。
写真A:東京高輪の「泉岳寺」
14日の津屋崎義士祭は、午前10時に寄せ太鼓と甲冑姿の武士が福津市津屋崎3丁目の「津屋崎千軒なごみ」を出発、津屋崎千軒通りを回り、新泉岳寺に到着後の同11時から和太鼓表現者が創作討ち入り太鼓を披露し、四十七士の法要が執り行われます。境内では正午から、義士が食したという蕎麦が300食振る舞われます。