2017年11月14日

〈企画事業〉177:「万葉古道の植物探訪」開催

〈企画事業〉177:@1711141032道標前で植物の説明を聞く参加者・「万葉古道の植物探訪」999.JPG
写真@:道標前で野草の名前を聞く「ふるさと塾」参加者たち
   =福津市奴山の「万葉古道 名児山越え」で、2017年11月14日午前10時30分撮影

福津市奴山の古代官道・名児山越え<tットパス楽しむ
「第17回ふるさと塾・万葉古道の植物探訪」開催

 古代官道・名児山越えをフットパスで追体験――。「津屋崎千軒 海とまちなみの会」は11月14日、「第17回〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」・万葉古道の植物探訪を開催。大宰帥(だざいのそち。大宰府の長官)大伴旅人(おおとものたびと)の異母妹の万葉歌人大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)が奈良時代の天平2年(730年)11月、大宰府から奈良の都へ帰る時に福津市奴山(ぬやま)と宗像市との境にある名児山(なごやま)を越える際に通った古代官道・名児山越え≠1287年ぶりに踏査、当時から自生していた野草や花などを調べながらフットパスウオークを楽しみ=写真@=、日本最古の和歌集『万葉集』に女流歌人として最も多い84首の歌を残した坂上郎女が名児山を詠んだ長歌の歌心に想いを馳せました。

 この長歌は『万葉集』(巻6 963番)に載っています。
 〈大汝(おおなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神こそは 名づけ始(そ)めけめ
名のみを 名児山(なごやま)と負ひて わが恋の 千重の一重も 慰めなくに〉
 歌の意味を現代語訳すると、〈大汝の神と少彦名の神が名付けたに違いない名児山は、心が和む山≠ニいう意味を持ちながら、私の悩む恋心の千分の一さえ慰めてはくれない〉。大汝(大国主神)と少彦名(少名毘古那神)は、日本の国造りをした二柱の神です。

 この日の「ふるさと塾・万葉古道の植物探訪」では、「海とまちなみの会」会員や福岡、古賀、福津3市の『万葉集』ファン、登山愛好者の男女10人が午前10時に「福津市複合文化センター」前に集合、乗用車で「万葉古道 名児山越え」の登り口へ。起伏に富む細い山道約5百bを約40分歩き、本会会員で「宗像植物友の会」にも加盟の女性会員から植生の解説を聞き、野の花の名前を確認したり、カメラに収めて嬉しそうな表情。

 名児山越え≠して宗像市田島に通じる県道502号線に出た参加者たちは、近くの福津市勝浦の「あんずの里運動公園」道路脇に旧津屋崎町(現福津市)が平成11年(1999年)に建てた坂上郎女の長歌を刻んだ「名児山万葉歌碑」を見学しました=写真A=。

〈企画事業〉177:A1711141154「万葉歌碑」を見る参加者・「万葉古道の植物探訪025.JPG
写真A:大伴坂上郎女の〈名児山万葉歌碑〉の解説文(左)と歌を刻んだ石碑を見学する人たち
    =福津市勝浦の「あんずの里運動公園」で、午前11時50分撮影
posted by ケント at 15:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 企画事業
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/181572521
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック